マッキントッシュMCINTOSHのあれこれ
マッキントッシュの歴史 やはり中心にはDUNVEGAN!
A.H.マッキントッシュの歴史
A.H.マッキントッシュ(A.H. McIntosh)は、1869年にスコットランドのファイフ地方カークカルディでアレクサンダー・ヘンリー・マッキントッシュ(1835–1919)によって創設されました。
スコットランド出身というのが、マッキントッシュMcIntoshのモノづくりの根源にある気がしております。
創業当時のイギリスは産業革命を経て家具製造が活況を迎えており、マッキントッシュMcIntoshもこの流れに乗り成功を収めました。
その品質とデザインは高く評価され、マッキントッシュMcIntoshが位置するカークカルディは高級英国家具の生産地として知られるようになります。
1878年にはパリ万国博覧会に出展し、国際的にも注目されました。
また、第一次世界大戦中には、家具製造から航空部品の生産に転換し、国の戦時需要に応えたことで重要な役割を果たしました。
英国家具屋はこの時期、このようなにして、何とか食いつないでいました。
このように、マッキントッシュMcIntoshは時代の変化に対応しながら成長を続けました。
戦前戦中、英国家具屋は大体こんな感じです。
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ミッドセンチュリーモダンへの転換
20世紀中頃、戦後復興に伴う経済成長とともにイギリスでは生活様式が大きく変化しました。
伝統的なデザインから離れ、よりモダンで実用的なスタイルが求められるようになったのです。
この時代背景の中、マッキントッシュMcIntoshは1950年代半ばから北欧の影響を受けたスカンジナビアデザインに注力するようになりました。
また、先の戦時中に何もできなかったという鬱憤が爆発した時期でもあります。
スカンジナビアデザインは、装飾を最小限に抑えたシンプルで機能的な美しさが特徴です。
マッキントッシュMcIntoshの製品は、高い技術力と洗練されたデザインを融合させることで注目を集め、1960年代にはデザインディレクターのトム・ロバートソンとヴァル・ロッシのリーダーシップのもと、数々の革新的な家具を世に送り出しました。
その中でも、1961年に発売されたサイドボード「ダンヴェガン(Dunvegan)」は大成功を収め、約20年間にわたって生産されるロングセラーとなりました。
サイドボードオブサイドボードです。
ここにマッキントッシュMcIntoshの独自路線が見えます。
①スコットランドの職人。
②外部デザイナーを起用しない。
①スコットランドの職人。ロンドンにいる職人。
これを聞いただけでも、一癖も二癖もありそうです。前者は。
癖というか、職人気質が強そうですね。
こだわりが。
②社内のデザイナーが良い点。
社内の職人の技術が分かっている。
気質が分かっている。
コミュニケーションがスムーズにいく。
最高の技術力を引き出すことができる。
この組織が、ダンヴェガンを生み出すことができた理由だと思います。
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成長と挑戦
1960年代、A.H.マッキントッシュ社はモダンな家具メーカーとして地位を確立し、従業員数を500人以上にまで拡大しました。
しかし、1970年代に入ると市場環境は一変します。
海外からの安価な輸入家具が増加し、価格競争が激化したのです。
また、若い世代の間で、耐久性の高い「一生モノの家具」よりも、手頃でトレンドを反映したデザインが好まれるようになりました。
こうした市場の変化により、マッキントッシュ社を含む伝統的な家具メーカーは厳しい状況に直面しました。
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1980年代以降の運命
1980年代半ば、マッキントッシュ社は経営難に陥り、一部事業を売却。
その後、家庭用家具市場から撤退しました。
しかし、売却後は学校用家具の製造に進出し、現在も「ESAマッキントッシュ」として教育用家具を提供しています。
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A.H.マッキントッシュの遺産
A.H.マッキントッシュの家具は、ミッドセンチュリーデザインの傑作として現在も高く評価されています。
特にヴィンテージ市場では、その品質と美しいデザインが愛され続けています。同社の歴史は、イギリス家具産業の変遷を象徴するものとして、多くの人々に記憶されています。
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